現在政治家でありオリンピック代表として7回も出場され女子スピードスケート1500mで銅メダルをとりキス騒動や『女性蔑視発言で辞任せざるをえなくなった東京五輪・パラリンピック組織委員会森喜朗会長』の後任になった橋本聖子さんですが、彼女の実家や生い立ちを調査してみたところあまりにも壮絶だったので興味ある方は是非ご覧ください!

画像引用元:ニッポン放送 NEWS NLINE
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橋本聖子の実家が借金や生い立ちがホラーすぎる

画像引用元:参議院議員 橋本聖子オフィシャルサイト
プロフィール:1964年10月5日
出生地:北海道安平町
元オリンピック 自転車競技 スピードスケート日本代表選手
聖子さんを育てた父親の教育が厳しすぎる 毒親なのでは?と話題になっています
実家と生い立ち
とても厳格な父親 橋本善吉さんと優しい穏やかの母親の間から北海道で生まれた聖子さん。

画像引用元:king-biscuit WORKS
お父さんはサラブレッドを生産する牧場経営をされておりスポーツが大好きで自身も力士を目指していたことがあり大変力持ちだったそうです。
また「スーパーカー」と称えられ今でも語り継がれるほどのマルゼンスキーという8戦8勝 無敗で競馬界隈最強の馬として候補があがる名馬を育て上げられたことでも有名です。

画像引用元:日刊競馬
聖子さんの名前は善吉さんが1964年東京オリンピックを見にいってあまりにも感動をしたために病床で妊娠中の母親に電話をかけ「決めたぞ。生まれた子の名前は聖子だ、聖火の聖だ。オリンピック選手に絶対する!」と決められ幼少0歳から選手にするために過酷すぎる教育がはじまりました。
まだ3歳の聖子さんに「補助輪をはずしても、自転車に乗れるのか?」と問われ いいえ とは言えずに「乗れます」と答えたのですが当たり前ですがうまく乗ることはできずに「お父さんできません・・・」と言ったとたんに厳しい叱責が飛び抱きかかえられたと思ったら薄氷の張ってある池に放り込まれたそうです。
北海道です。
それからわずか3歳だった聖子さんですが早朝5時まで練習しなんとか乗ることができるようになったそうです。
またオリンピック選手になるため運動感覚を身に着けさせるために小さな馬で乗馬訓練もされたようで馬に急に鞭を入れ途端に馬を驚かせ走り出す暴れ馬から落馬しないようにし、落馬した場合は聖子さんに鞭を入れていたようなのですが聖子さんは鞭で叩かれた痛さより、父親の期待に応えることができない自分の不甲斐なさの胸の痛みの方が強かったそうです。
優しい控えめな母親は止めることができずにそれからも父親の厳しい教育は続いていき小学3年生にはスケート少年団に入り記録が出るまでに成長していたのですが日々の練習による強いストレスからか小学3年生の女の子が腎臓病を患い2カ月の入院から療養をするために2年間スポーツをすることが一切できなかったそうです。
2カ月の入院中には小児科病棟で同じく入院していた子と仲良くなったのですが、その友達が亡くなってしまうという壮絶な経験をされており最期には「私の分まで生きてね。頑張ってね」と掛けられて9歳の子供が「生きてることに感謝 スポーツ それを支えてくれる人 道具への感謝」病気をしたことで感謝することを覚えたそうです。

「オリンピック選手になるんだぞ。そのために名前を付けたんだからな」と言われ続け育ちその後にはオリンピック選手になるために中学生でコーチの家に下宿を始めます
その後、スケートの強豪校である駒沢大学附属苫小牧高校に進学し幼いころからの厳しい訓練のおかげか高校1年では敵なしで世界ジュニア選手権の日本代表メンバーになり高校2年では全日本選手権で優勝を収めます。
順調にスピードスケートの選手として結果を残し成長をしていたのですがまたもや聖子さんを病が襲います。

高校3年生のときに体調に異変を感じていた聖子さん。
体のむくみがとれずに小学3年生の時に患った腎臓病を思い出し病院で検査を受けると尿蛋白の数値があがっており再発の危険性があるために練習を中止せざるを得ない状況になりました。
練習をしなければいけないのにできないというジレンマと恐怖に苦しみストレスから胃に穴があき脱毛症になってしまいさらには胸の筋肉が締め付けられ呼吸困難に陥ったそうです。
医者に症状を聞いても「原因不明です」と告げられそれから症状は悪化し食事も喉を通らなくなりうつ伏せで背中を押してもらった反動でやっと呼吸ができるという状態になってしまいました。
(当時はまだ知られてなかったでしょうがうつ病とパニック障害の症状では・・・?)
さらに不運なことに病院内ではB型肝炎にまで感染してしまい呼吸器不全、腎臓病、肺炎という3重苦に・・・
聖子さんはこんな状態になってもなお自分のメンタルの弱さを責め、病は気からと思い込みそれから自分と向き合い自分を信じることをこの病から学び、前回のような肺活量は戻らなかったそうですがイメージトレーニングとマインドコントロールを身に着け自分自身の心を高め克服したそうです。
復帰後は怒涛の活躍で500m、1500m、3000m、5000mを完全制覇しました
その後1984年に見事オリンピック日本代表選手として出場を成し遂げます。
20億の借金を背負っていた父
とても厳しい父親であった善吉さんですが2020年10月に96歳で亡くなられています。
本日の1面です
昨年10月、#橋本聖子 五輪相の父が96歳で逝去
葬儀委員長を務めた #森喜朗会長 の後任指名に難色を示す理由の1つは父が残した億単位の借金と言われています受諾すれば大臣を退き、議員辞職を迫られる可能性も
会長職の報酬は役目を終えれば途絶え、金の不安を持つのは当然です pic.twitter.com/7YO0Zt3vk7— 日刊ゲンダイ ニュース記者 (@gendai_news) February 18, 2021
聖子さんが五輪代表選手として出場を果たし何もかも順調に見えていたようですが・・・
「経営拡大のための借金が増え、1億円の取り立てに来た暴力団員に監禁される事件まで起こりました。
地元の信用組合から本来の融資限度額の2倍以上に相当する16億円あまりの融資を無担保で受けたものの、返済が停滞。この信用組合は経営破綻に追い込まれました。
破綻を巡る裁判でも、善吉さんに対する融資が“許されざる融資”としてやり玉に挙げられたほどでした」(地元紙記者)
善吉さんの借金はそれだけに留まらない。
2006年には橋本氏の“選挙資金”として知人から2000万円あまりの借金をし、一部を返済せずトラブルになっていたことが当時、『週刊文春』で報じられた。
「借金の一部を橋本さんの事務所名義で返済するなど、彼女もトラブルを認識していたとして問題視されたんです。
貧すれば鈍するで、多額の借金を作った善吉さんが最後にすがったのが、バブル期に“地上げの帝王”と呼ばれた早坂太吉という男でした。
善吉さんは多方面から約30億円もの融資を受けたといわれていますが、グレーな人脈とも密接な関係にある早坂氏が間に入って解決するはずがなく、事態は泥沼化していく。聖子さんは周辺に“把握している限りで20億円以上の借金があります”と語っていたそうです」(永田町関係者)
引用元:Yahooニュース
五輪選手の父親ということで信用があったのか組合からの無茶な融資を受けることができたのでしょうか?
知人からも2000万円を借りているようですが聖子さんを五輪選手に育てたようにポジティブすぎる思考で無謀な経営拡大もできると考えたのでしょうか?
他にも何件もの訴訟を抱えておられるようで聖子さんは講演活動で得た給料を父親の借金返済に充てていたようです。
「債権者との訴訟は他に何件も抱えていたようです。
聖子さんは議員活動の傍ら多くの講演をこなし、借金返済に回してきましたが、このコロナ禍ではそれもままならない状況でしょう」(前出の知人)
引用元:Yahoo!ニュース
挑戦することは大事だとは思いますが無茶な借金をして結果的に死後も聖子さんを苦しめることになっています。
教育のおかげなのかもはや洗脳と言っていいのかわかりませんが個人的には毒親としか思えません。
「聖子さんがお父さんのことを悪く言うのは聞いたことがありませんね。
借金トラブルが報じられたときもそうです。“父との生活のなかで、五輪選手になるための忍耐力や精神力を身につけることができた”と感謝していました」(橋本氏の知人)
引用元:Yahoo!ニュース
私はホラーを見ているようです。
牧場は現在、長男の善一さんが経営を引き継いでいるようで破綻はされてないようですね。
オリンピック選手としての活躍
若いころの壮絶な努力もあって夏季は自転車選手 冬季はスピードスケート選手として7度も代表選手としてオリンピックに出場されました。
1984年
サラエボ冬季オリンピックにて初出場されましたが残念ながら入賞には届きませんでしたが「良い経験になった」と反省し
この敗北をきっかけに肉体改造に励みだします
1988年
2度目の出場になるカルガリーオリンピック。
肉体改造のおかげもあってかスピードスケート女子5種目をメダルはとれませんでしたが全種目の日本記録更新し見事入賞も果たしました

当時23歳の写真ですが、男性顔負けの脚の筋肉です。
1992年
27歳になった聖子さん。

アルベール冬季オリンピックでまたもや5種目出場をして1500m日本人女性初の冬季オリンピック銅メダルという快挙を成し遂げました

数々の困難を乗り越えてメダル取得という夢を叶えた聖子さん。
94年リレハンメル冬季オリンピック、96年アトランタオリンピックに出場し94年に3000mで日本新記録を出されていますが残念ながらメダルを取得することはありませんでした。
引退後は政治家に。結婚したが訳アリ夫と子供の名前が・・・
聖子さんはその後、国会議員に当選し日中は議員活動 早朝深夜にトレーニングをされていたようで相変わらずの恐ろしいパフォーマンスです。
しかし選手としては厳しくなってしまってからはスポーツは引退をされた後進の指導に当たりながら日本スケート連盟会長、北海道トライアスロン連合会長を歴任されています。
1998年に農水大臣のSPをされていた警察官の石崎勝彦さんと結婚をされました。
私はどちらかというと、悩みを人に話さず、何でも自分で抱え込もうとするタイプでした。でも、主人にだけは不思議とどんな悩みでも打ち明けることができたのです。おかげで、精神状態もどんどんいい方向へ向かいました。そんな私のようすを知っていたので、家族も結婚には大賛成でした。
引用元:橋本聖子オフィシャルサイト
同じ北海道出身で学生時代にラグビーをされておりスポーツ好き同士で話が弾み勝彦さんには次第に悩みも打ち明けるほど仲が良くなり引退前からうつ状態だった聖子さんでしたが元気になっていく姿を見て結婚に大賛成されたそうです。
勝彦さん(夫)は前妻と死別され3人の子供を儲けられており聖子さんが3人のお子さんを出産されましたので子供は全員で6人になります。
聖子さんは幼少期に病気を患ったり、選手として活躍するために無茶な肉体改造をされホルモンバランスを崩し生理が何年もなかった体で医師にも出産は厳しいと言われていたようですが命を授かり参議院に産休は無かったのですが聖子さんの妊娠をキッカケに議会欠席の理由に出産が認められることになりました。
父の呪い・・・?
聖子さんは無事3人の子供を出産されたのですがつけられた名前が個人的に気になりました。
三女 : 聖火(せいか)
次男 : 亘利翔(ぎりしゃ)
三男 : 朱李埜(とりの)
全員オリンピック関係の名前で父に育てられたように厳しく教育されるのでしょうか・・・?
お子さんが平和に暮らせることを祈っております。
まとめ
橋本聖子さんの生い立ちはいかがでしたでしょうか?
聖子さんの育ち方を見て自分も頑張ろうと鼓舞される方もいらっしゃるのでしょうが私はエゴを押し付けられ育てられた毒親 ホラーにしか見えませんでした。
結果的にはオリンピック選手として活躍できたのでオーライでしょうし聖子さん自身も父親には感謝されてるそうですが聖子さんが政治家になり森喜朗の後任になり権力をもった今、聖子さんの猛特訓、パフォーマンスは誰にでもできる努力の範疇を超えられた異常さだと思うのですがそのレベルの努力を国民にも求められるのではないかと私は少し恐れています。

画像引用元:読売新聞
腎臓病や過呼吸になってまで五輪選手になり人生をゴールドにしたいとは思う人はどのくらいおられるのでしょうか。
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