注目の人気シンガーソングライターのあいみょんさん!
Youtubeでは最近、「マリーゴールド」3億回再生!
「裸の心」1億5千万回再生を突破されましたね。
ちなみに私はこの2曲も好きですが「さよならの今日に」も好きです!
既にご存じな人も多いかと思われますがDISH//(ボーカル 北村匠海)に猫を曲提供された方でもあります。(THE FIRST TAKE初の1億回再生突破)
Youtubeであいみょんさんの曲を聴いていてどんな人なのか調査したところ成り上がったエピソードに感銘を受けたので紹介したいと思います!
Contents
プロフィール
- 本名:森井 愛美(もりい あいみ)
- 生年月日:1995年3月6日
- 年齢25歳
- 身長:161cm
- 血液型:A型
- 出身地:兵庫県西宮市
6人姉弟の大家族、2番目次女として誕生されました。
自分の分のお菓子は隠し、ジュースにも自分の名前をしっかり書いて取られないようにされていたようです。
そんな環境なので食べ物に関しては毎日が戦争で、特にお菓子の取り合いは日常茶飯事だったそうです
お姉さんは早くに結婚して子供ができ、妹さんも結婚して、7人の甥っ子・姪っ子がいるそうであいみょんさんの家は大大家族ですね!
西宮市(にしのみやし)といえば阪神甲子園球場や関関同立で有名な関西学院大学などがあり治安が良さそうなイメージがありますね。

甲子園球場の隣にある学生時代によく通われていたヘンゼルカフェをあいみょんさんはTVでもラジオでもよく紹介されています。
個性的な女性オーナーさんらしく壁紙がオードリーヘップバーンだらけだそうで、それに影響を受けオードリーヘップバーンになりたい時期もあったそうな(笑)
あいみょんさんはロコモコ丼をオススメされています。あいみょんファンは一度行ってみてはどうでしょうか?
シンガーなので歌だけではわかりませんでしたが、インタビューではバリバリの関西弁でお話されていてます。
またあいみょんさんが「アニョハセヨの略’アイミョン‘」に発音が近いことや韓国料理屋みたいな名前で韓国人であるという噂が広まっていますが、本名が分かっている今それは誤解だと察せられるでしょう。
あいみょんさんのPVを見ると韓国芸能人のような長い手足で綺麗なスタイルをされているのがわかりますね。
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あいみょんの生い立ち 高校生のときが人生のターニングポイント
小学校で転校されたり高校は一度中退して別の学校へ編入して卒業されたりしています。
あいみょんの小学生時代
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ラジオ「Kiss FM KOBE」で尼崎の小学校に入学され2年後に西宮市に転校されたことをお話されています。
その後、西宮市立小松小学校を卒業。1カ月に1回出る奇跡のメニューきな粉パンが大好きだったようです。(笑)
ミュージカルから、ちょっと逸れますが、【紅白歌合戦】初出場の、【あいみょん】って、【鳴尾村】出身です!
行き付けの、散髪屋の、御孃ちゃんと、【あいみょん】の六人姉弟の一人と、同級生らしいです!(^_^)v
— 鳴尾村売電村長【明るい変態魔王】【明るい変態真理教教祖】 (@MiQ9k1iz9GkCNJG) December 13, 2018
小松東町
です!
小松小学校てす!— 鳴尾村売電村長【明るい変態魔王】【明るい変態真理教教祖】 (@MiQ9k1iz9GkCNJG) December 13, 2018
小学生時代はビートたけしさんの「コマネチ」を真似しながら走り回ったり、アニメ「ボボボーボ・ボーボボ」が好きでその絵を描いた紙を前の席の子の背中に貼って怒られたりしていたそうです。
小さいころから絵は好きで太陽の塔 岡本太郎さんを崇拝されているようですが、絵を目覚めたキッカケは美術の授業で絵本作家の馬場のぼるさんの「11ぴきのねことぶた」の切り絵で西宮市の何か(笑)で飾られたことで「美術楽しいなー」と思うようになったそうです。

画像引用元:PLAY TARO
あいみょんさんの1曲「今日の芸術」は岡本太郎さんがキッカケで作曲された歌です。
あいみょんの中学生時代
あいみょんの出身中学は、西宮市立学文中学校です。2007年の4月から2010年の3月まで通い卒業されました。
中学時代は陸上に熱中!
🏃♀️🏃♀️🏃♀️ pic.twitter.com/9lAJB1Ozio
— あいみょんスタッフ (@AimyongStaff) September 16, 2017
中学生時代は陸上競技に熱中されていたようで、小学生のころから運動は大好きだったようです。
走り幅跳びが本当はやりたかったようですが、陸上部監督からハードル勧められ、3年間みっちり身体中に痣を作りながらも練習されてたそうです。
学文中学は陸上強豪校で有名なのでハードな練習だったと思われます。
そして強豪校での副部長を任されるほどの「実力の持ち主」であり後輩をまとめ、落ち込んでいる後輩を和ませていた親しみやすい先輩だったようです。
あいみょんさんがリレーメンバーに参加されていたかは不明ですがあいみょんさんが在学中の2008年に第35回全日本中学校陸上競技選手権大会100mリレーで準優勝しています。
ギターをもらっていなかったら歌手にはなっていなかった

歌手になることが夢でしたが貧困で叶えることができなかったおばあちゃんの影響とPAエンジニア(コンサートなどで音響設備を用いて音の調整を行う仕事)である父親の影響を受け音楽に興味を持ち、中学生になったときに父親にエレキギターをもらいました。
本当はアコースティックギターが良かったそうで弾く気になれず、エレキギターは長続きせずにすぐにやめてしまったそうですが、中学3年生の時に音楽好き同士で仲良しだった英語教師がアメリカに帰国する時にYAMAHAのアコースティックギターを譲り受けウキウキしながら家に帰ったたそうです。(笑)
それから本格的にギターを独学で始め父親が聞いてた音楽の影響もあり、小沢健二、フリッパーズ・ギター、浜田省吾、スピッツを聞いて、勉強は苦手だったらしくカバーをしながら覚えていき作詞作曲も始めたそうです。
まだギターをプレゼントしてくれた先生とは再会できていないようで、いつか会えるといいですね!
中学時代の友達とは今も繋がりがあり、中学時代は楽しかったみたいですね!
あいみょんの高校生時代

2010年4月に兵庫県立西宮南高等学校へ入学し2012年3月に中退。
2012年4月に兵庫県内の高校に編入し、2013年3月卒業しています。
中学時代は部活熱中されていましたが、高校時代は部活に入らず、人づきあいがあまり好きではなかったらしく「人格が変わった」とインタビューで語られていました。
孤独な高校時代
「友達ってどこまでが友達なん?」という疑問を持ち仲良くなろうと歩み寄ってくれていた人を一歩引いてしまい、たくさんいた友達が指で数えられるくらいに減ってしまったようです。
話すことも減り、暗くなったことで兵庫県立西宮南高等学校を退学されました。
高校卒業資格は人生を左右すると思って、別の学校へ編入し卒業されています。
編入してからは知っている人がいなくなり、学校生活はずっと一人で友達も「1年だけやし」と作ろうと思っていなかったそうです。
1度一人になったことで、一番大事な友達が誰かもわかり、すごく良い期間だったし「当たり前に周りに人がいる」と思ってたらあかん。今は寂しい時も、もちろん人それは人間なので喜怒哀楽を爆発させながら生きているな。と高校時代を語られていました。
あいみょんさんは繊細な歌詞や上手く気持ちを代弁してくれるような歌詞を考えられる人で知的な印象がありますが、勉強は大事というのはわかっていたけど大嫌いでベルトコンベアに乗せられているようで授業に全く集中できず、ペンの頭に指人形をはめたり机に並べたりして遊んでいたり、保健室登校をされていたり、テストの日に東京に遊びにいったこともあったようで「変人だった」と言っています。
将来はカメラマンやパン屋、保育士になることを考えられたようで音楽でやっていけるようになるとは思っていなかったようです。
あいみょんの本名は森井愛美!?EXILEのオーディションを受けていた
あいみょんもLDHのオーディション受けてたのね〜!(森井愛美)
今のあいみょんがすき!! pic.twitter.com/Lxde5W3reD— きりん (@miki_rin___) November 10, 2018
「EXILE Presents VOCAL BATTLE AUDITION 3 〜For Girls〜」オーディションが行われたのは2011年。
高校の同級生が「一緒にやろうよ!」と勝手に応募されたらしく3万人参加したオーディションで4次審査までいってしまい学校に電話がかかってくるので、早く落ちろ(笑)と思ってたらしいですね。
女性を対象とした12歳から25歳のボーカル、ダンサーのオーディションですが、あいみょんは審査ではSuperflyの『Eyes On Me』を歌ったという話なので、やはりボーカル志望で受けたようです。
作詞作曲を始めた
高校生になり作詞作曲を始めたあいみょんさんですがの作詞力は官能小説から影響を受けているそうです。
まだ高校2年生だったあいみょんさんは購入するのが恥ずかしくて、雑誌の下に官能小説を仕込んで買われていたそうです。
官能小説の世界にのめり込み多彩な表現方法を参考にしていき、幅を広げ自分の力を試してみたくなりオーディションなどを受けるようになっていたそうです。
そんな中で友達のYoutubeチャンネルで歌を披露した動画がエンターテインメント会社の目にとまりSNSで声を掛けられ「てっぺんとれるよ。」と言われ事務所に所属しプロデビューを果たされました。
正式所属のために50曲作って
事務所をそもそも疑っていたらしいのですが、正式に所属するための条件として50曲作るように言われ「ああ、信頼しても大丈夫かな」と思いそれから数カ月かけて50曲を上回る130曲の音源を持ってきたようです。
曲数だけでなく曲の中身、歌詞の親子の絆、性的心理や恋愛模様にプロデューサーは「この子は天才だ」感銘を受けたようです。
卒業後から上京デビューまで
音楽活動に専念するため大学進学は迷われたそうですが「大学に行くって言っても、自己保身のしょーもない理由しかない。だったら歌に進んだほうがいい」と話され大学には行っていません。
卒業する前からバイトを長いことやっていたので、それをやりつつ音楽をやろうかなと思ってました。ただ、友達は大学でサークルをかに入ってめっちゃ楽しそうで、私はひとりになったというか、遊びに誘われなくなったんですよ。それが不安でしたね。音楽の世界は一握りの人しか生き残れないと思っていたので、ユーキャンを始めようかなみたいな(笑)

大阪梅田などで路上で引き語りをして実力をしっかりつけられ二十歳の時に上京を決意します。

お金がなくギリギリだったので新幹線に乗るという発想がなく夜中に朝東京に着くように母親のお兄さんにトラックを運転していただいたそうです。
出発する夜に家族でトラックの前で写真を撮ったり、地元の仲の良い友達が見送りにきて思い出のアルバムを作ってもらい、父親からはトラックの中でメールをもらい「泣いちゃうやん」としばらく号泣されたそうです。
車が故障して引き返すことになったりしたら良いのになと思ったり二十歳まで離れたことない家族と離れるのがこんなに寂しい想いをされたり葛藤があったようで、車窓からみた景色は真っ暗で漆黒の海に沈みに行くんかなと思われたそうです。
上京後も路上で引き語りを続けますが、やっぱり最初は人が集まらなかったそうで、歌ってる前でカップルが接吻を始めたり忘れられないムカつくこともあったり東京の路上はキツかったそうですがライブハウスでの活動時に同世代の女性ファンや女子高生に応援されていたおかげで支えられていたそうです。
デビュー
事務所の意向で2年間、力をつけ二十歳の時に「貴方解剖純愛歌~死ね~」でインディーズデビューを果たされました。
歌詞が過激すぎるためラジオ局ではNGにされてしまいますが、オリコンインディーズチャートではTOP10入りを果たします。
1年半後にドラマ「吉祥寺だけが住みたい街ですか?」の主題歌 投身自殺をした女性のことを歌っている「生きていたんだよな」を提供されメジャーデビューをされました。
音楽定額制配信サービスのSpotifyのEarly Noise(次世代に活躍が期待される新アーティスト)にも紹介されていました。
それから「マリーゴールド」ではNHK紅白歌合戦に初出場され一握りの人気アーティストの一員となりました。歌手になることが夢であったおばあちゃんが喜んでくれたことを話されてましたね。
現在はカルチャー誌やファッション雑誌などにも登場され人気を拡大されています。
ファンの皆さんがいるのはほんまにありがたくてみんなのこと大好きだけど、私の作る音楽は元々誰に向けてのものでもないんですよね。
私が恋愛の曲として作った曲が他の人には人生の曲になるかもしれないですし、やっぱ聴く人がスゴいんやなって改めて日々感じてます
引用:LINE NEWS
まとめ
いかがでしたでしょうか。
孤独な時期もあったり、作詞力を上げるために読書をされたり、50曲と言われそれを上回る130曲を作曲されたり、上京での家族との別れや路上ライブでは辛い思いをされたりして簡単には成功されたわけじゃありませんね。
これからも私はあいみょんの曲を聴いていきたいと思います。
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